新井しげはる プロフィール
昭和28年
飯能市岩沢に生まれる
昭和35年
飯能市立加治小学校 入学
小学生時代に東京オリンピックが開催され、日本選手の活躍に感動。
また、急速に発展していく社会の状況に関心を持つようになりました。
昭和41年
飯能市立飯能第一中学校 入学
1学年12クラスあるマンモス校で、市内全域に友人ができました。
部活では器械体操に。床や跳馬などもやりましたが、特に鉄棒が得意でした。
昭和44年
埼玉県立玉川工業高校(土木科) 入学
まちをつくる仕事を目指し、建設について学ぼうと門をたたきました。
高校では専門知識を学ぶとともに、技術を習得するためがんばりました。
3年間柔道部で鍛えられ、黒帯(有段者)をいただきました。
昭和47年
飯能市役所に入所
高校卒業と同時に、まちづくりに貢献したいと決意し、飯能市役所に入りました。
専門知識を活かし、主に土木・都市計画部門で働きました。
台風や雪の時は、真っ先に市役所に駆けつけていました。
(これは退職まで続きました)
昭和57年~61年 飯能消防団第6分団に入団
地域防災を同世代の仲間たちと担い、最後は部長として部隊をまとめていました。
昭和59年
結婚
妻・子どもたち(一男二女)と無事に暮らすことができています。
平成13年~19年
都市計画課長
平成19年~21年
道路課長
まちの未来につながる大切な仕事を責任者として進めました。
【茜台地区の開発】
公団・国・県、そして地権者の方との調整に力を尽くし、全国に類を見ない抜本的な見直しを実現できました(地域の方々とのご協力により、需要が減少した住宅地から工業団地に計画変更できました)。
【川寺上野線(武蔵丘カントリークラブから中央公民館までの道路)の建設】
飯能市にとって現在主要道路となっている川寺上野線を開通させるのにも心血を注ぎました。最も効率的で経済効果のある道路をつくるために、何度も地域の方と調整を重ねました。
インフラ整備において、便利で安全なまちづくりのために最前線で働きました。
平成21年~25年
建設部長
市政全体の政策推進の中で、効果的な財政運営を進めつつ、より一層市民の安全安心を意識するようになりました。
平成22年~25年
「国土交通省総合評価方式による品質確保に関する懇談会委員」
政府の公共事業に関する有識者会議に、全国の自治体代表として参画しました。
この会議で、国・県や専門家の方々と人脈を築き、専門知識を市政に取り入れることができました。
公共事業の品質確保に関する仕組みは、当時飯能市が先進的な取り組みを始めていました。市民のみなさまの貴重な税金を有効に活用するためにどのような仕組みが良いか、研究を重ねました。
東日本大震災をはじめ、笹子トンネルの崩落事故など、社会インフラの安全性が注目されていました。安全で安心な暮らしのためには、やはり適切なインフラ整備・維持補修が欠かせないと痛感しました。
平成25年
飯能市役所退職
平成25年~26年
副市長
市長を補佐し、市政全般を考え、あるべき飯能市について学ぶことができました。
また、多くの方とのつながりができ、市民生活の諸課題について広く見識を深められました。
平成29年
飯能市議会議員初当選
市議会議員として市政に取り組むも、現状はあるべき理想の姿とはかけ離れたものでした。多くの方に押され、市長選にチャレンジして市政を刷新することを決意しました。
令和3年
飯能市議会議員を辞し、飯能市長選挙への出馬を表明
飯能市長 初当選 8月に就任
多くの方のご支持をいただき、当選させていただきました。